酔舞如≪世迷言≫

日々起きている社会的なこと、ちょっと気付いたことを色々書いています。

2017年12月

戦前も戦後も、大人って奴らは、ガキ(子ども)って奴らにとって常に理不尽な支配者であり、抗うべき相手だった。

大人は暴力的だった。親や教師にぶん殴られたことのないガキ(子ども)は間違いなく少数派だった。どんなに出来の良い奴でも、親や親戚のおっさんや近所のおっちゃんや教師から、理不尽にぶん殴られた。諭しの言葉よりも早く拳骨が飛んで来た。が・・・

大人も常に「社会」の上層や「政治」という世界の大人達と闘っていた。戦前の大人達は言うまでもなく世界に冠たる大日本帝国の大人達と闘って来たし、世界に対して尖がっていた。戦後暫くの間大人達は、敗けた大人達になり代わりアメリカ合衆国や新しい憲法やその他様々な環境変化に対して歯向かい、歯向かう事を止めようとする「社会」の上層や「政治」という世界の大人達と闘っていた。

闘っていた大人達は何のかんの言いながらもそれなりに強く、ガキ(子ども)どもにとっては抗う価値のある、倒し甲斐のある相手だった。

 

本当は力が上の筈の大人たちは、しかし、妙な憲法や社会変化によって暴力的な理不尽さを薄めていき、逆に、それでガキ(子ども)は付け上がった。ガキは不良化し、不良化しなくても不良化したように虚勢を張るガキで世の中溢れていた。虚勢は張ったが、カッコいい大人達を目標として生きた。不良が憧れる対象は芸能界に無数にいた。映画やテレビが華やいでくれば来るほど、不良の憧れた大人達はスターダムにのし上がる。

しかし、テレビで見る憧れのスター達とは違い、普段見掛ける大人は何も出来ない奴らであり、自分ら(ガキ)は何をやっても許されると勘違いしたまま育ち、そういう腐ったガキが腐ったまま大人になった。腐った大人は堂々としていないから何かにつけカッコ悪い。大人は憧れる対象でも抗うべきものでもなくなり、空気になった。

大人の存在や大人の目はどうでもよくなり、ガキ(子ども)はガキの社会を持ちその中に孤立する。全てガキどもの中で片付けられるようになり、そこから抜け出ることが出来ない力のない子どもたちはどんどん追い詰められ、自ら死を選ぶような歪な社会になった。

 

これじゃダメだな。大人がカッコ悪過ぎだ。身近な大人にカッコいい人が減っているから子どもは大人になる夢や憧れを持てないまま諦めるのが早くなる。大人を頼らず、諦める。大人が情けなさ過ぎる・・・

 

昔のことを言っちゃなんだが、ほんと、昔の大人の不良たちのライブはカッコ良かったけどね。なーんてことを、YouTUBEで、ショーケン(萩原健一)のライブ視聴しながら思った。ま、色々と問題を起こしたほんと不良のガキがそのまま大人になったような人やけどね、ショーケンは、最高にロックしてたね。

矢沢永吉、憂歌団(木村充揮)、桑名正博、甲斐バンド(甲斐よしひろ)・・・。桑名正博さんは亡くなっちゃったけど、自分にとってカッコ良かった大人達・・・ってよりもお兄ちゃん達はまだ全然元気で頑張っている。

今の子ども達にとっても憧れのスターとか大勢いるだろうけど、兎も角、一番身近な親たちが、子ども達にとって最も頼り甲斐のあるカッコいい対象であり続けて欲しいものです。 

小人症で生まれ育ち「小鬼(インプ)」と呼ばれるティリオン・ラニスター役で世界中に名が知られるピーター・ディングレイジ。「ゲーム・オブ・スローンズ」が始まった2009年よりも10年以上早く1995年から俳優活動をなさっているみたいですが、この人の演技は素晴らしいと思っています。演技が素晴らしいというより、ティリンという役柄を通して(小人症の)自らの存在を堂々と強烈に見せている、いわゆる「カッコ良さ」が伝わって来ます。ティリオン役が高い評価を受けて、エミー賞とゴールデングローブ賞でそれぞれ助演男優賞を受賞されてますが、いつかこの人は、アカデミーで主演男優賞を取るような位置まで行けるんじゃないか?とさえ思わせる。

勿論、この人の容姿でなければ演じられない役に恵まれてここまで来れたという見方も出来るのでしょうけど、ご本人が自分の置かれた環境に対して目を背けずにいたからこそ、大卒後、俳優業という道筋を見ることが出来た。此方より年下で、まるで違う世界の人ですけど尊敬出来ます。

 

小人症として生まれ育った人たちはけっして少なくない。その中で、俳優や歌手として成功した人もいる。でも、小人症であるが故、幼い頃から好奇な目を向けられ続けた人たちであることは否めない。視線を向かられるだけではなく、聞きたくない声も聞こえて来る。「ゲームオブスローンズ」の中でティリオンが幾度となく浴びせ続けられた侮蔑の言葉。障害を抱える全ての人に共通することだけど、そういうことを乗り越えて行くのは大変な苦労だと思う。

此方も、本来あるべき骨や関節が生まれつきなくて、背は伸びず(それでも「小人症」という程ではないけど)、運動も制限されて、ちょっと長い距離歩けばすぐに疲れたりびっこ引いてしまう。(※「びっこひく」は差別用語らしいけど、此方にとっては何を今更なので敢えて使います)。そういうのを理解し切れない教師からもさんざんなことを言われ続けてほんとイヤになったが、小人症の人たちに比べたらまだ恵まれている。という自分自身のこともあって、特に小人症の人には共鳴しがちなんだけど(此方は、人工骨と人工関節を埋め込めて、単に運が良かっただけと思っているので)・・・

 

「世界を震撼させた日本人・・・」みたいな言葉につられてネット検索を辿ったらほんとびっくりした。何にびっくりしたかって言うと、アダルトビデオに小人症の男優(監督もしているらしい)が出演していることを知ったので。

ピーター・ディングレイジの演技でも分かるように、小人症の人でも、症状次第では性行為は全然問題ないってことは知ってますけど、ついにアダルトビデオに来たか!って驚いた。役者・監督名「にしくん」の西晃平(公表身長・109センチ)さん。それこそ差別しなければアダルトビデオであれ「俳優業」なので、昔で言えば白木みのるさんのような存在。でも、白木みのるさんは、小人症の部類でしょうけど140センチ前後あった人。それでも、役者として成功して不動産業でも成功したらしいのに、「相手となる女性に悪いので」とずっと結婚していないらしい。「相手の女性に悪いので」には恐らく性的なことも含んでのことと思いますけど、にしくんは逆に、自分の特色で性的職業に挑んだ。そして綺麗で性的に長けた女優さん達と堂々と亘り合うわけだから、いや、凄いというか恐れ入った。

この先に、にしくんがどのような評価を受け続けていくのかは分かりません。今は確かに奇異的な目線で見られていて、強いアブノーマル色を求める人たちからの支持でしょうけど、こういうことがきっかけで、大きな道が開かれるかもしれない。まだ若い(24歳?)ということなので、この人の現在の挑戦は大きな意味を持っていると思う。

 

小人症の人も、その他の障害者の人たちも、同じ人間として生まれて来てるんだから、見た目は奇異であっても、人として差別されてはならない。ということは全ての人が分かっているが、分かっていても見た目で評価を下してしまうのが人間社会。更に、その人を直に見たこともないのに、人の噂だけで見たような気になって勝手に評価するのも人間社会。特に、「流されやすい」日本人社会は「決めつけ社会」でもある。一度決め付けられた(貼られた)レッテルを剥がすことが難しい。健常者でもレッテルを剥がすことは難しいのに、孤立しやすい障害者では尚更難しい。既に腐っている日本社会に対しては何の警鐘を鳴らしても無駄かもしれないけど、本当に、もう少し自分以外の存在に対して寛容な社会になって欲しいものです。そして・・・

人生を諦めてしまう人たちも少なくないけど、どういうことをやってでも生きて行こうととしている人たちがいることを理解して、自分の可能性をもっと突き詰めて欲しいものです。「自分」が「自分」であることにしがみつくのはカッコ悪くはない。

このページのトップヘ