酔舞如≪世迷言≫

日々起きている社会的なこと、ちょっと気付いたことを色々書いています。

2018年01月

拙い文章しか書けないのに歴史系のブログも持っているのですが、日本の「歴史」には大きな疑問を持っています。それは、日本人が書いている世界史の本、或いは日本人の言う世界史の中には、不思議なことに「日本」が登場しないこと。登場してもチョイ役程度にしか出て来ない。更に、日本史では重要な国の当時の諸事情が触れられない事から、どうしてその国と日本が関わらなければならなかったのかという理由が見え辛い。

歴史が好き(或いは嫌い)という人の中には、世界史は好きだが日本史は嫌い、又はその逆で、日本史は好きだが世界史は嫌い、と言う人が少なくない。これは、日本(の学校教科書)では、まるで世界の出来事の中に日本はいなかったように教わった人が少なくないことの弊害じゃなかろうかと思えます。そのように学んだ(真面目で優秀な)人が作った歴史書(世界史書、日本史書)だから、結局、日本抜きの世界が描かれてしまう。世界とはかけ離れた日本が描かれてしまう。

地球儀には、日本列島抜きの地球儀はない筈なのに、地球上で繰り返された"世界"には日本がなかったように書かれる歴史が日本人の"好み"なんでしょう。たとえ教科書的な出版物であっても売れない書は出版しないでしょうからね・・・

 

という疑問を持っていた此方は、前年、ブックオフで、岡田秀弘さん著書の『世界史の誕生』(ちくま文庫)という本を見掛けて¥560で購入しました(定価¥740)。購入理由は、まえがき文章が、正に、此方が常日頃感じていた内容に近しいものであることと、世界史は、13世紀のモンゴル帝国の登場によって始まったという風なあとがき文章が気に入ったから。

世界的な大帝国であったモンゴルからの侵略を防ぎ占領されなかった当時の日本は、ヨーロッパでは注目されていた。が、日本が何処にあるのか多くのヨーロッパ人は知らなかった。モンゴルを恐れていたヨーロッパ諸国は、モンゴルに勝った(実は高麗に勝っただけだが)日本を探す旅に出た。というのが南蛮人の来日に対する此方の持説でもあったので、この本は読まなきゃと思っています。買ってから、まだ読んでいないので正月休みの間に読もうと思っていたのですが、結局は、酒飲んでばかりで読めていないけど。この本の副題として【モンゴルの発展と伝統】と記してあるので、モンゴル人の思考に少しは近づくことが出来るかもしれません。そうすると、例の、大相撲事件に於ける各力士達の考え方も分かるかな?なんてね。

 

あの事件は、日馬富士関が引退に追い込み、貴ノ岩関を引き籠りにしてしまった。そして、伊勢ケ浜親方と貴乃花親方が、まるで喧嘩両成敗のように二階級降格させられた格好となっているけど、何となくしっくり来ていない人が多いから、年を越してもまだ話題に上がるのでしょう。その件はさて置き、モンゴルが特に親日国と言われるようになったのは、日本の大相撲でモンゴル人力士の活躍が目立つようになってから。それ以前も親日的な人はいたかもしれないが、どちらかと言えば旧ソ連に近い政治国家だったので親日の歴史は浅い。そもそも、大帝国だった頃には日本を滅ぼそうとした人たちの国家である。日本に対する羨望など無かったし、旧ソ連崩壊後に日本との往来がし易くなって「相撲」という共通格闘技があって交流の度合いが深まった。あくまで相撲が結んだ縁なのに、今回の問題に於ける一連の報道では、日本のメディアの論調やネットなどの書き込みが、モンゴル力士に対する侮蔑のようなイメージとなりつつもあり、対日感情の悪化が強く懸念されている。もしも本当にそのような事態(モンゴル社会の反日感情)を招くのなら、大相撲界が望んだこととはまるで正反対のことであり本末転倒な話となってしまう。過熱報道はやめて、兎に角、少しでも良い形での事態収束を願うばかりです。

前年師走は、近年稀にみる時間に追われた日々。 しかし、それは喜ばしいことではなく、結局、先送り続きが招いたこと。今日やれることを少しずつ積み残した挙句の果ての時間の無さに過ぎない。 それでも少しは落ち着くことが出来て、いつもと変わらない元日を迎えることが出来た。良かった〃。 朝っぱらからグダグダ飲んだお酒の酔いも少し冷めたので久々にブログ更新。 「今日始められることを始めなかったばかりに、一年後には後悔しているかもしれない」というような事にならない為の再開文章・・・何を書こう?

 

成功者の行動や思想を分析し、それを模倣することによって同じ効果を得ることができるという考えに基づく哲学を、特に、「成功哲学」と言います。分かり易く言えば、例えば尊敬する武将や学者、芸能人、スポーツ選手などの名言や伝記などを参考にして、自分自身の行動や言動をその人ならばと意識づけ置き替えて生活する。そうすることによって、心の持ちようが変わり、信念が生まれ、プラス思考が癖付き、必然的に「成功した」と思えるようになる。今までなら何も思わなかったことが、「成功」と思えるようになる。今までならクヨクヨ悩む失敗事をそれはまだ成功までの過程のことだとして苦労を苦労と思わずに次へ次へと向かって行ける。そういうことを手伝える学問が「成功哲学」。その分野の祖と言われるのがアメリカ合衆国の著作家ナポレオン・ヒル(1883年10月26日生~1970年11月8日没)。

ヒル氏のモットーは、代表的な著作物の署名にもなった『頭を使って豊かになれ思考は現実化する)』。 

ヒル氏が「成功哲学」を提唱したきっかけとされるのが、新聞記者時代に鉄鋼王アンドリュー・カーネギー相手のインタビュー記事を書いた事だと云われる。その時にカーネギー氏から、「20年間無償で500名以上の成功者の研究をして成功哲学を体系化してくれないか」ととんでもない依頼を受け、しかし、20年後の1928年に上述の著作を成した。というヒル氏の有名な?新年の名言が・・・

"新年の抱負を持つとき、何かを切り捨てようと決心をするなら、それは真っ先に「不可能」という言葉にしよう"

と、ナポレオン・ボナパルトの言葉(不可能はない)を参考にした言葉。同じ名のナポレオンの言葉を応用した言葉ですが、この言葉自体はなるほど良い言葉です。

 

さて、「成功哲学」を体系化するという偉業を成したヒル氏ですが・・・

実は、ヒル氏がカーネギー氏と単独インタビューしたという事実も曖昧なら、その他の数百人の著名人とのインタビュー等々や彼らの言葉とされる様々な名言も、ヒル氏が勝手に創作した言葉とも云われています。20年間、頭の中に想像を張り巡らせて自分の世界を作り上げてしまったら、それが結果的に個人としては「成功した」って事でしょうか。でも、ヒル氏に取り上げられた各人は、何となくそういう言葉を言いそうだとか、何となくそういう考えで行動していそうだとか、勝手なイメージを付けられたことになる。そうなるとヒル氏は良い人なのか、悪い人なのか・・・

でも、記者(特に芸能記者)と呼ばれる人達の中には、ヒル氏のような人は大勢いそうですね。

 

というわけで、人との比較や人の模倣で生きても仕方ない。自分は自分の生き方をするのみなので、新年の名言・・・と言うより、今年の大晦日には是非覚えていたい(松下幸之助の)言葉を書いておこう。

「人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである

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