酔舞如≪世迷言≫

日々起きている社会的なこと、ちょっと気付いたことを色々書いています。

2019年02月

日本国憲法について、現憲法を基本とする"改憲"ではなく、総てを一から書き直す"創憲"を求めている此方は、"象徴"天皇制の維持を強く支持する姿勢と矛盾している?
そのことはさて置き、今回は、現行憲法の公布(昭和21年11月3日、施行日は昭和22年5月3日)にも影響を及ぼしたと言われる、「新日本建設の詔」についてです。

大日本帝国は、第二次世界大戦を無条件降伏で終えGHQによる占領政策を受け入れた。そして、昭和天皇陛下におかれましては、昭和21年1月1日に「新日本建設の詔」(いわゆる"人間宣言")をなさいました。この詔書内容に対して、昭和天皇陛下は注文を付けた。当時はまだ、勝者ぶる世界各国によって、日本は"国体"を否定され続けている最中。その事に対して、昭和天皇陛下は強い信念の下に"日本の"意気地を立てられた事になりますが、GHQは昭和天皇陛下の要求を受け入れて詔の書き換えを(手加え)を全面的に認めた。その要求は、日本人の多くが知っているように、「五箇条の御誓文」を宣言文に組み入れること。

明治維新が成った日本国に、民主主義の精神を導入されたのは明治天皇陛下、引いては日本国民の総意である。日本国の民主主義は、外国から輸入されて取って付けた民主主義ではなく、古い時代から既に民主主義の精神は根付いていた。それは事実である。という考え方を示し(その通りの言葉とは勿論違う)、GHQ、引いてはアメリカ合衆国に対して「否定出来るのなら否定してみろ」と、"極めて静かに"心意気を示されたものと受け取れる。

今でこそ、年2回の天皇陛下定例記者会見が実施されていて、国民はその都度、今上陛下や御皇族の現在についてやその他のことを知ることが出来る。しかし、昭和52年8月23日までは、天皇陛下定例記者会見は行われていなかった。天皇を蔑ろにしたいマスコミ側の作意によるものか、それとも、昭和天皇陛下ご自身がご遠慮なさっていたのか、それは知らない。けれどもその日、終戦後初めて行われた記者会見の席で、「新日本建設の詔」の経緯について質問が入り、昭和天皇陛下が、初めて真相をお答えになられました。

この時の記者質問は、「詔書冒頭に、明治天皇の五箇条の御誓文というのがございますけれども、これはやはり、何か陛下のご希望があったと聞いておりますが」という内容だった。そして、昭和天皇陛下は次のようにお答えになられました。
「それ(五箇条の誓文を引用する事)が実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時は、アメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇の思召しであって、しかも、神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、日本の民主主義は決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあった。日本の国民が、誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。」

多少、お答えの言葉とは違う部分があるかもしれませんが、大体以上の通りであり、昭和天皇陛下のご意思で詔の内容に手が加えられた(修正された)ことが明らかとなる。

しかし、詔書が発表された当時は、昭和天皇陛下のお心が国民に伝わることはなく、アメリカによる情報操作が繰り返された。その結果、日本国民や近隣諸国は以下のように信じ込まされた。
『戦前までの日本は軍国主義に支配された暗黒時代であり、戦後、アメリカ合衆国によって、初めて「民主主義」が持ち込まれて、漸く近代国家としてのスタートを切った』と。

記者会見の内容を新聞などで知った多くの国民は、昭和天皇陛下のお心に触れても尚、五箇条の御誓文の意味を解せず、軍国主義だった日本がアメリカ合衆国によって民主化されて救われた、という、親米保守派の言い草を支持し続けた。日本の保守派ってのは、日本の何に対して保守派なのだろう?とつくづく疑問に思う。
親米保守派が、「この国は、第二次世界大戦後、アメリカ様の指導によって、"初めて"民主主義を知った」というスタンスで自民党を支持し続ける限り、昭和天皇陛下詔の最後のお言葉は永遠に浮かばれない。
「朕は、朕の信頼する国民が、朕の志とその心を一にして、自ら奮い、自ら励まし、以てこの大業を成就せんことを希うものである。」

さて、五箇条御誓文の内容ですが、下記に書いておきます。
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一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ  (現代訳=>広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ(現代訳=>上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス(現代訳=>官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ(現代訳=>旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ(現代訳=>智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
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全ては、第一条に込められていて、これからの日本は万機公論、つまり、日本の政治は世論の赴く方向で行われなければならないと、明治天皇陛下は仰った。但し、世論が間違った方向へ向かわないように、上も下もなく、真の目標をちゃんと見定め、"平等に"活発に議論を重ねなければならないことも第二条で付記された。

今の自民党の"保守政治"は、万機公論に決しているか?韓国なんぞにひれ伏すな、尻尾を振るなと、多くの国民はそのように意思を示している筈だが、外相も防衛相も腰砕けが酷過ぎるのでは?

民主主義は最も尊重されるべきで、考え方も様々あってそれも自由で当たり前。しかし、自民党が「保守」を標榜する政党であるのなら、今の姿勢は、現在に至る日本の民主主義の基本とはちょっと随分と違っているのでは?結局、日本の考え方(国体)を保守する政党ではなく、アメリカ様のご意向に沿う政治しか行わない政党ってことですか?


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歴史を知ることは勿論過去を知ることですが、歴史を知る為には未来へ向かって強く突き進む力が必要です。過去は、未来にしか明かされない。過去を振り返ることだけでは歴史を知ることは到底出来ない。

現在、世界で最も一般的に用いられているロケットエンジンは化学式ロケットエンジン(化学燃料ロケット)ですが、世界は一時期、原子力推進式ロケットエンジン開発競争へ向かっていた。"世界は"と書いたが、周知の通り米ソ(米露)による開発競争です。それは第二次世界大戦前から始まっていた。そして宇宙ロケットに用いる事への成功も間近だったかもしれないが、多分(安全面等々)色んな問題があり、その実現からは遠ざかっている。但し、原子力推進式エンジンは潜水艦、艦船、機関車などに既に用いられていることも誰もが知っている通り。「原子力の平和利用」が全世界に認められた時には、ロケットエンジンも原子力推進式へと一気に傾くかもしれないが、いや、核のゴミ問題さえ解決出来ない中では、どうかな?
とんでもない天才科学者が登場して、ロケット搭載の原子力エンジン自体が自己リサイクルを繰り返せる使用期間無限の核推進式エンジンなんてのが発明されたら、その時、「宇宙戦艦ヤマト」が完成するかもしれないが・・・

話はちょっと横道に逸れ過ぎましたが、化学式、原子力式の他に、電気推進式ロケットというものがある。日本人なら近年よく耳にするエンジンでしょうけど、「はやぶさ」或いは、「はやぶさ2」に搭載されたロケットエンジンです。
この電気推進式エネルギーエンジンを最初に思いついたのは、アメリカ合衆国の発明家で「ロケットの父」と呼ばれるロバート・ハッチングズ・ゴダードと云われる。ゴダードの1906年の研究ノートにそのことを検討している内容が記されているとか。アメリカ合衆国の人間が検討しているのなら、当然?ロシア人も研究しているわけで、コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー(ロシアのロケット物理学者、ロケット研究者)が、この電気推進式エンジンの概念を1911年に発表する。
科学の世界では、このように宇宙に目を向けていた当時なのに、政治の世界では、地球上の領土拡張にしか目が向いていなかった。この人たちを含む当時のロケット研究者たちの一部には、もしかしたら、核処理の問題に色々気付いていて、原子力開発競争をやめさせる為に必死に研究していてくれたのかもしれない。そう思うと、原爆投下が防がれなかった事実は凄く残念です。

近未来的な科学技術の開発が進んでいく中、我が国のロケット「はやぶさ」が小惑星イトカワへ向かい、そして「はやぶさ2」はリュウグウへ向かった。
未来へ向かう技術が追い求めているのは、「地球誕生の秘密」や「人類誕生の秘密」など、歴史を振り返るだけでは見える筈もない"物理"の世界でもある。そして、いつの日にか、宇宙の秘密まで知ってしまうのかもしれない。でも、知ってはいけない秘密、開けてはならない秘密の扉もあるのかもしれないので、そういう事には極めて用心深くあって欲しいけど・・・

未来を諦めた時に、歴史は閉ざされる。
「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」考えを持つことは勿論必要だが、同様に、良き未来を築くための努力を惜しまない事こそが、歴史を正しく顧みる力を与えてくれる。


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今より12年ほど前に刊行された『幼児化する日本社会』(榊原英資氏著)は、的を射た世相批評書と思っていますけど、この本と同様の意見を持っていた人は与党・保守層にも多かった筈。しかし、何の手も打てずに社会全体の雰囲気="気持ち"は荒みを深めてしまった。

というわけで、今回も、『幼児化する日本社会』を参考にして書きます。
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近年のテレビ番組、特に、時間枠の限られた中、"悪意を込めた"切り取り報道ばかりを繰り返すニュース番組や、小間切れバラエティー化の権化と言えるワイドショーは、極めて典型的な苛めの構図に至った。
榊原氏曰く、(以下、引用)もともと報道というのは事実をできるだけ客観的に伝えるものだったはずですが、いつの間にか、キャスターやコメンテーターが主観的意見をさしはさみ、しかも、不祥事や問題を起こした人たちを過度に糾弾するようになりました。一体、あなたたちは何様なのだと私などは腹立たしくなりますが、大衆の感情をうまくつかみ、一方的に叩いてみせる手法はまさにデマゴーグのやり方そのものです。視聴者のある種のいじめの心や嫉妬心をあおり、作られた「悪人」を叩き、ある種の爽快感を与えるというわけなのです。(以上、引用終わり)
そして、人気キャスターやコメンテーターはまさに水戸黄門面をした偽善者だと言えなくもないと指摘しています。

以上のマスメディアに対する批評だけでも、この本の出版から12年ほど経った現在の世相は、なるべくしてなったものと誰にも思える筈。

企業経営者のサポート業なんてものをやっている自身の経験から言えるのは、経営層の中にも、明らかに有名キャスター、有名コメンテーターの「喋り手法」に影響を受けている人が明らかにいるということ。此方のように、知っている範囲の狭い人間でさえそういう人に遭うのだから、日本の至る所でマスメディアに感化された人は物凄く多くいる筈である。経営層なんてのはほんの少数ですが、その他大勢の人たちもそれぞれマスメディアの影響を受けている。
有名芸能人には、有名なのだからファンが多い。有名芸能人がバラエティ系ワイドショー番組に集って世相評価を言い合うようなことも珍しくなくなり、そこに呼ばれる政治家、批評専門家(評論家)、その他がスターダムに伸し上がり、一般視聴者は彼らの真似をする。

特に芸能人たちの中には、言葉を選ばない事をウリにしている人たちも少なくないし、毒気のある、そして歯切れ良いテンポで「作られた悪人」を滅多切りにして見せる。そういう口調に魅せられた人々が自分たちの社会で同じようなことをする。その社会がインターネット上に無数に築かれて、「自分こそがスター評論家」であることを主張し合う人々が、"標的"をやり玉に挙げてボロッくそに責め立てる。
標的が、本当に叩かれて当然の極悪人で有るか無いかは、インターネット限定の覆面スター評論家達にとってはどうでも良いことであり、兎に角、「発言したい」「誰よりも発言したい」「発言しているんだから聞いてくれ!」「聞いたら、イイネをくれ!」ということだけが目的となる。悪人を叩くのではなく、「悪人を叩く自分を見てくれ、構ってくれ」が目的であり、しかも不特定多数の匿名者が寄って集って行うことだから始末が悪い。

テレビ番組なら、少なくとも誰の発言かは分かる。だから、よっぽど良くないことなら番組内、若しくは別枠で謝罪がある。インターネット社会では、「所詮は匿名」という無責任枠での登場だから、好き勝手にほざいて、何か大きな問題があったら、自分が創った仮想の自分を抹殺すれば事足りると、皆、そういう考えに至るから言いたい放題となる。訂正はない。謝らない。

自分が悪いと思えば子どもでも「ごめんなさい」と謝る、或いは、謝らさせられる。謝らない、謝れない、謝らずに済まされるのは何も分からない「幼児」だけだ。
つまり、匿名性の高い社会では何も分からないフリを装えるし、幼児のフリだって出来てしまう。そして、そういう世界に浸った影響なのか、本当に何も分からない幼児に対して、本気で怒って虐待するような愚かという以外に言葉を失う大人たちが大勢出て来ている。バスや電車でいい年した大人たちが赤子の泣き声に怒りを露わにして怒鳴る。公園でさえ怒鳴る。隣家に居て怒鳴る。どうしようもない。そして、そういう腐った馬鹿な大人たちを見て、尚且つネット社会で育った次の大人たちは、幼児相手に虐待を始め、不幸な事態を招いている。

全てがテレビの仕業じゃない!と言い、イヤなら見るな!と言う人が大勢いる。インターネットもイヤならアクセスしなければいい!と言う。そして"自分たちの社会"を内に秘めて外から遮断しようとする。「鎖国主義か?」(笑)

テレビは、営利を目的とする以上(公共性高くそれだけではないとも言えるが)、自局の番組に視聴者を釘付けにすることを目的とする。だからこそ、視聴者を離さないように次々と話題を振って来るし、時間枠に収めようとするから情報を小間切れにして、小間切れの切れ目の基準を「局の方針」とする。局の方針が反政府主義、反与党主義の方が視聴者を引き寄せられるという思いが強ければそういう口調を出演者に求めるし、逆に保守的な面をウリにしたければそうする。その為に、「スター」達の言葉を利用する。
マスメディアが、「第四権力」(=批判権力)を確立させ、その中心にテレビが居座るようになった時から、現在の社会(世相)の流れは始まった。だから、此方はマスメディア、特にテレビが苛め社会を増長させた病巣だと思っている。

最近、「切り取り報道」に対する見直し論調が出て来ています。
テレビ=マスメディア側がそのことをどのように受け止めているのかは分からない。でも、何も変わらず今のままの報道の在り方が続くのなら、社会は酷くなる一方だと思う。自分たちが「権力者」であることを全てのマスメディア関係者、芸能関係者が再認識し、もっと優しい社会作りの為の放送・報道の在り方を高察頂きたいものです。

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武道では特に重要視される「型」ですが、日本は「型通り」を好んで来た。つまり師匠(先生、先人、先輩等々)の物真似をすることで「型」が身に着く、身に着いた「型」の見事さ、立派さによって評価されることを"伝統的に"受け入れ続けている。
それまでの型を寸分違わず行えて、尚且つ、自分の「型」を持つことが出来れば一流になれる。そのように教育されて来たからこそ、日本人は先人を敬う心を維持し、自分流の「型」がどんなに立派な完成品であっても謙遜して来た。

以上のように、殊更自分に厳しかった日本人は、他人の理不尽な悪意に対しても、きっと自分の側にも非があったに違いないという考え方を以って、(非が無くとも)自分の側から詫びてしまうという不思議な習性が身に着いてしまう。その習性まで「型通り」に真似たから、詫び方にも多くの「型」が出来てしまい、どんなにきつく相手を懲らしめても、最後は詫びで閉じるような、それで全てを済ますような慣習も出来上がった。一言詫びを入れたかどうか、それこそが「型」には必要だった。なので、相手を叩きのめす為の厳しい修行に耐えた仕合(試合)でも、礼に始まり礼に終わる「流儀」が誰にも求められた。
どんなに多くの成功を重ねた人であっても、礼儀知らずは嫌われる。それが日本だった。日本流の教育だった。

教育も「型通り」に行われるもので、「型破り」であることは面白くは思われても多くの場合は嫌われた。特許性の高いものなど、突飛な発想が出来ることは喜ばれても、「型破り」=「無礼者」では誰にも認められずに表舞台で輝くことは皆無に近かった。しかも、「型」は強制されて学ぶのではなく、自らが選び学び取るものという考え方もあり、皆、競争してコピー人間となっていった。第二の誰々、第三の誰々、ポスト誰々、誰々の再来、誰々二世・・・など、日本では、第一号の成功者を認めたがらず、必ず先人を挙げてその後継者であるかのように語られる。全く違う分野であっても、例えばサッカーのスターを嘗ての野球界の英雄に置き換えたりする。

でも、それでこそ日本は世界を席巻していった。スーパーヒーローが没しても、必ずその人の「型」を完全にマスターした、第二のスーパーヒーロー、第三のスーパーヒーローが後を追い、そして新たな「型」を起こして追い越して行った(免許皆伝の考え方もこれに近い)。「型に嵌める教育」であったかもしれないが、自らが「型に嵌ってみる」。そしてそこから新たな道を見つけ、真の「型破り」な成功へ切り拓く。このような考え方、育て方が日本独自の流儀だったから、日本人にしか出来ない流儀だったから、日本人は次々と成功者を輩出してきた。ところが・・・

「型通り」の中にこそ本当の自由があったのに、それを理解し切れないアメリカ合衆国その他の「自由のお仕着せ」を受け入れた結果、ろくでもなく無礼で「型」知らずの人間達ばかりになった。だから、世界を驚かすような型破りの人が少なくなってきた。いずれ、そういう人はいなくなるのではないか?と思う。

日本独自のそれこそ世界に誇れる文化である筈の「型」の流儀をもう一度ちゃんと根付かせないと、日本は廃れると思う。


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今上陛下の平成の御世が、4月30日で幕を閉じる。そして、新天皇としてご即位される皇太子殿下の御世に伴う新しい元号が5月1日から始まる。
「平成とはどういう時代だったのか」ということがテーマに用いられるニュース報道枠も盛んですが、4月30日と5月1日で、国民の生活や文化風習が何か特別に変わることは無い。つまり、この31年間が良かったと捉えている人が「良き時代が終わった」と悲観することは無いし、逆に、この31年間は悪かったと捉えている人が「悪しき時代が終わった」と歓喜する理由も何もない。しかし・・・

思えば、昭和から平成に変わった時、マスコミは昭和天皇陛下の崩御を、「戦争の時代が終わった」かのように繰り返し報道で仕掛けて、今上陛下の「平成」を祝した。しかし、今では態度一変させた一部のマスコミは平成時代を悪しき時代であったかのように表現し(表現の自由はあるけどね)、まるで陛下のご退位と共にそれ(悪しき時代)が終わるかのように印象付けようとしている。それはきっと、改元以降の「ご祝儀視聴率」を期待してのものかもしれない。「いい時代の幕開けだ!」みたいな・・・

マスコミが、自分たちをどれほど「いい人」のように取り繕おうと、マスコミこそが時(時代)の流れを悪くしていることは間違いない。ラジオの時代、映画の時代まではまだそれほど悪くなく、人々は、ゆっくりとした時の流れに、自分たちの至らなさを顧みて反省する時間を持つことが可能だった。でも、テレビの時代が到来して社会の様相は大きく変わった。
生中継技術の発展は、特に政治家に対して「失敗(失言)出来ないプレッシャー」を与え続けた。テレビという即応性の高い「武器」を手に入れたマスコミは、言い直し、やり直しが効かない世の中であることを過度に演出するようになり、勝手に民の代表を気取って糾弾者となり、司法・立法・行政と居並ぶ、第四権力を確立させてしまった。

ところが、司法も立法も行政も、自分たちが権力を持っている事を意識しているから、それぞれがけん制し合って歯止めも効いていたが、マスメディアは、自分たちが"権力者"である意識が希薄であり、故に、まるで弱者代表であるかのような素振りで多方面を傲慢に批判する。ろくでなしどもだ。
この第四の権力者たちは、自分たちは権力を批評・批判する側にあり、それは何も言えないでいる民衆の声を代弁しているだけのこと。という風に正当化する。が、本来の民衆の声の代弁者は選挙で投票選出された代議士(政治家)の筈だ。それを、誰からも選ばれていない者達が民衆の声の"真の代弁者"であるように装い、正当に選出された代弁者をくそみそに批判しまくる。つまり裏返せば、マスメディアは、民衆を批判しているって事になり、本来は政治によって正しく導かれるべき方向を、批判権力者たちによって違う方向へ向かわされている事にもなる。

学校や企業等々での苛め問題が顕著であれば、それはマスメディアが「批判」という名で誤魔化した各方面への苛めを、民衆(視聴者)に対してしょっちゅう見せつけていることによる悪しき影響であり、その事に対してマスメディア側が本当に気付いていないのであれば、馬鹿である。しかし、気付いていないわけがない。
マスメディアは優れた知能を持つ者達で形成する大確信犯集団であり、世の中を作っているのは(これからも作って行くのは)自分たちの仕事だと自負している。政治家や、まして一般民衆に時代を作らせようなんてサラサラ思っていない。マスコミ(マスメディア)こそが時代を作る側であり、視聴者はただそれについて来ればいいとしか思っていない。
政治家は選挙で選ばれて権力を得ていくが、マスコミ関係者(特にテレビ関係者)は違う。「視たくなければ視なければいい」「聴きたくなければ聴かなければいい」と、視聴者が選ぶマスコミではなく、マスコミが視聴者を選んでいるような口ぶりさえ目立って来た。

改元された後の時代をどう表現するのかも、全てマスコミが決める。・・・それでいい?
マスコミに勝てない政治家を人々は侮蔑するが、それは自分たち自身を貶していることであり、マスメディアに従い続けることを宣誓しているようなもの。そうなってしまっているのも、本当に信頼出来る代弁者を選出出来ていないことに因る。ちゃんと選挙投票して、本当に思っていることが声に出せる政治に変えないと、ずっとずっと傲慢極まりない第四権力者(マスメディア)の連中を利するだけ。


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